書き手が仕上げた原稿が本になるまでには、
少なくとも①編集②校正③校閲というプロセスが欠かせない
(私の場合は一番手前に、手書き原稿をキーパンチャーが
打ち直す作業が追加されるが)。②校正と③校閲の違いは、②が誤字・脱字等の単純なチェックなのに対し、
③は中身の間違いをチェックする。
中身の間違いと言っても、書き手の主義主張とか、
意見そのものの是非などには勿論、踏み込まない(その場合は“検閲”に当たるだろう)。
引用した統計の数字が間違っているとか、地名が古い表記のままとか、
文献名を取り違えているとか、比喩やコトワザの使い方が適切でないとか、
前の記述と後の記述が明らかに食い違っている等々。鉛筆で疑問点を書き込んだ上で、その疑問を提出した根拠となる資料を添付するのが、
普通のやり方だ。
鉛筆で書くのは、あくまでも疑問点の指摘であって、
書き手が訂正する必要がないと判断した場合は、その書き込みを
消しゴムで消せばよいということ。
その“非”強制性を示している。各出版社の出版物のレベルを保証しているのは、
実はこの校閲という作業だ。
以前、「地味にスゴい!校閲ガール・河野悦子」(主演、石原さとみ)
というテレビドラマがあった。
これを見れば(勿論、リアルとは違っているが)、
どんな仕事かおよそ想像できるだろう。これまでの経験で感心したのは、新潮社の校閲のレベルの高さだ。
以前、新潮社の月刊誌で断続的に原稿を書いていた。
今よりは雑誌がもう少し売れていた頃だ。担当の編集者に聞くと、各出版社が経費節減の為に、校閲部を次々に廃止し、
外部に委託する中でも、同社は校閲部を維持し、出版界でも
そのレベルの高さはよく知られているとか(現在の状況は知らないが)。かつて、筑摩書房の校閲も優れていると言われていた。
だが一度、倒産した時に校閲部を廃止し、今はどうなっているやら。私が書いていた頃の新潮社では、1本の雑誌原稿を3人の
校閲担当者がチェックしていた。
各自が疑問点を全部出して、互いに他のメンバーの疑問点の解消して行き、
それでも最後まで残った疑問点を、書き手に返すと言っていた。
丁寧なやり方だ(ちなみに編集者は、原稿を仕上げる度に、
恵比寿の寿司屋や四谷のクラブなどに一緒に繰り出して、
ご馳走してくれていた)。一方、驚くべきことに、私の経験では雑誌、単行本、新書などで
全く校閲が介在していない場合も、実は意外とある(社名は伏せる)。ところで、その校閲の書き入れがドッサリ入る経験をした。
皇后陛下、敬宮(愛子内親王)殿下、秋篠宮殿下等々の表記に軒並み、
疑問出しをされてしまった。
皇后さま、愛子さま、秋篠宮さま等々、全て「さま」で揃えるべきでは?という。
「お生まれになった」も「生まれた」への訂正を示唆された。
こんな調子なので、鉛筆の書き込みが山ほどあった。
疑問出しの根拠資料は、共同通信の『記者ハンドブック』だ。「皇室用語の表記例」として「使う用語」「使わない用語」がズラリと並んでいる。
「使わない用語」として「天皇さま」、「使う用語」として「天皇陛下」
とあるのは正しい。
しかし、それ以外は、上皇陛下・上皇后陛下も含めて、皇室の方々の敬称は全て
一律に「さま」で統一している。他にも「行幸」「行啓」「お成り」は全て→「訪問」「出掛けられる」、
「ご会釈」は→「あいさつ」、「御製」「御歌」は→「お歌」「歌」、
「首相の親任式」は→「首相の任命式」…といった調子。
私に云わせれば、「使う用語」と「使わない用語」がアベコベということになる。しかし、「使わない用語」に「秋篠宮紀子妃殿下」という例があった。
これは確かに「使わない用語」だ。
何故なら「秋篠宮妃紀子殿下」が正しいからだ。
“妃”の位置を間違えている。
ところが、「使う用語」は「秋篠宮妃紀子さま」となっていて、
“妃”の位置は正しいけど、殿下をやはり“さま”にしてしまっている。
恐らくハンドブックの制作者は、正式な用例での“妃”の正しい位置を
知らないのだろう。陛下・殿下という敬称をどなたに使うか、その使い分けの仕方は、
皇室典範にきちんと規定がある。
勿論、非公式な場、私的な場では、杓子定規にその通りにする必要はない。
私的な場で、誰かが心を込めて「天皇さま」と言うのを見咎めて、
「陛下」に直せと、がなりたてる方がどうかしている。特定の人物に対する「さま」は、むしろそのような私的な
敬意を込めて使う敬称だろう。
それをメディアが公的な場面で平然と使う様子を見ていると、
敬意が足りないというよりも、何だか私情を垂れ流しているようで、
こちらが恥ずかしくなってくる。共同通信の『記者ハンドブック』は、新聞やテレビ各社などメディアの世界では、
幅広く参考にされている。
出版物の校閲でも同様だということが、今回、改めてよく分かった。私は何ページも何ページも、黙々と消しゴムで書き入れを消し続けた。
それだけで随分と無駄な時間を使ってしまった。
しかし、書き手が皇室についての敬語や敬称に自信が無い
(勿論、皇室典範なんて読んだこともない)人物だったらどうか。
校閲は元々、前述の通り主義主張には立ち入らない価値中立的な
チェックのはずなので、「ああ、皇后“陛下”は間違いで皇后“さま”が正しいんだ」
と勘違いする書き手も出てこないとは限らない。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
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